『源氏物語』を原文で読む

広島市中区・安佐北区で源氏物語講座を行っている講師のブログです

薫と匂の宮

第三部の主人公・匂の宮。現代ではどちらのほうが人気あるんでしょうか?

 

昔読んだ田辺聖子さんのエッセイには「薫は「ええかっこしいの男」なので現代人の間では人気がない」なんて書かれていましたが・・・。

 

私は大学時代、源氏物語研究会というサークルに所属していたんですが、そこでは圧倒的に匂の宮のほうが人気でした(薫派は一人もいなかった気がします・・・)。

 

私は基本的に『源氏物語』の登場人物は皆好きなんですけど、薫と宇治の大君が出てくる箇所は読んでてちょっとしんどいです・・・(汗)。

 

大君ってすごく思いつめちゃう性格じゃないですか。自分で自分を不幸にしているように見えて辛いんです・・・。が、彼女のことは嫌いというわけではありません。私自身が大君タイプなので、彼女の気持ちは分からないでもないですしね。

 

しかし薫は・・・。けっこう読んでてイライラしてしまったりも・・・^^;

(ちなみに『あさきゆめみし』の薫はだいぶ美化されていると思います。私がイライラすするのは、あくまでも原典の薫です)

 

私の文学仲間の間で薫が不人気だったのは「薫が「身分」というものにすごくこだわる性格だから」です。

 

大君と中の君は八の宮と正妻の間の子だから彼女達の意思を尊重して手を出さない。だけど、異母妹の浮舟にはさっさと手を出す。

 

私も若かったので、薫のそういうところが嫌だったんですね。

 

入水したはずの浮舟が見つかった時も「浮舟の母が彼女に会いたがってるんです」って言うしさ・・・。母かよ。「自分が」じゃないのかよ。

 

道心が深く、恋に奥手なイメージのある薫ですが、召人はたくさんいる様子。でも、薫にとって召人は「対等な人間」じゃないんだろうなという気がするんです・・・。単なる性欲処理の相手、なんじゃないかと。

 

だから私は薫よりも匂の宮のほうが好きでした。匂の宮は「飽きたら捨てる」タイプなのでこれはこれで問題ですけど、少なくとも熱中している間は大事にしてくれそうなので・・・。

 

薫や匂の宮よりも好きだなと思ったのは光源氏光源氏のほうが有名なので、現代人は「光源氏=人でなし」みたいに言う人も多いですけど、光源氏は身分が低い女性や美人じゃない女性でも「同じ人間」として扱っていると思うんですよね(まぁ、帝の寵児なので、傲岸不遜なところもありますけど)。一度関係を持った女性は捨てられない質なので、身体の関係がなくなっても生活の面倒は見てくれるし・・・。

 

私の中では薫<匂の宮<光源氏です。一番好きなのは朱雀院ですけど。夕霧も好き。

 

今、宇治十帖を読んでいるんですが・・・読めば読むほど、薫が一番愛しているのは大君でもなく、中の君でもなく、浮舟でもなく、女一の宮でもなく、薫自身なんじゃないかという気がしてなりません。不義の子なので「私なんて・・・」と自分を卑下している部分もある気がするんですけど、心の奥底では自己愛が強い人なんじゃないか、と・・・。

 

ああ、私はやっぱり薫は苦手だな、なんて思ったりもしたのですが・・・でも、もしかしたら、薫は「とっても平安貴族らしい人」なのかもしれませんね。

 

現代人には「身分」というものがピンと来ないから、ついつい薫にイライラしてしまったりもするけど・・・。平安時代の上流貴族にとっては「大君&中の君(正妻腹)と浮舟(脇腹)の扱いが違うのは当たり前」だし、「召人? 対等な人間じゃないに決まってるでしょ?」って感覚でも普通なのかもしれません。社会制度が違うのだから、現代人の物差しで測って批判するのは違いますよね。現代の日本人は一応「皆平等」ですが、それでもやっぱり皇族に向ける視線は一般人に向けるそれとは違うし、相手の職業によって見る目が変わったりしますよね。

 

「薫=とっても平安貴族らしい人」ならば、薫に対する私の目も優しいものになる気がします。

 

余談ですが、薫と匂の宮の関係は不思議ですね。

 

兄弟のように育ったけど兄弟ではない。親友のように見えるけど親友ではない(と思う。親友の恋人を躊躇なく奪いますか?)。

 

光源氏と頭中将、夕霧と柏木は「まごうことなき親友」に見えるんですけどね。

 

でも、「薫と匂の宮の不安定な関係」は非常に魅力的だと思います。この組み合わせはとても好きです。