今日は『和泉式部日記』に対する感想を書いてみようと思います。
『源氏物語』の朧月夜と似ていると言われる和泉式部は恋多き女です。夫(橘道貞)がいながら浮き名を流したということで父親(大江雅致)から勘当されたという凄い過去を持つ女性ですが、和泉式部の和歌は現代人である私が読んでもハッさせられたり、じーんとさせられるものが多いです。ちなみに紫式部は和泉式部のことを「古歌の知識は足りないけれど、ちょっとした言葉にも艶があって趣深い」と評しています。私は平安女性の中では和泉式部の和歌が一番好きかもしれません。
『和泉式部日記』は和泉式部と敦道親王の恋愛を記したものです。
最初のほうは敦道親王にかなりイライラしました^^; 亡き兄宮(為尊親王)の恋人だった和泉式部に声をかけてきたのは敦道親王のほうなのに、ずーっと和泉式部の浮気を疑ってグジグジネチネチ言ってるので。
それならモテる女に声をかけなきゃいいのに! 和泉式部は浮気なんかしてないのに~(現実にどうだったかは分かりませんが、日記には二股などかけていないと書かれています)。ああ、でも、美貌の宮様としては、貞淑な不美人よりも多情な美人と付き合いたいよね。まったく男ってやつは・・・。
こんなふうにイラつきながら読み進めたのですが、その分、敦道親王が疑いを捨て、和泉式部のことを心から愛するようになる場面はすごく感動しました。「ここに、かくて、あるよ」という敦道親王の台詞がとても好きです。
この後の二人はとにかくラブラブです。和泉式部と敦道親王といえば車中での逢瀬が有名ですが、まったく、他人の邸の駐車場で何をやっているんでしょう^^;
『和泉式部日記』は敦道親王が和泉式部を召人という形で自邸に迎え、それに怒った北の方(藤原済時女)が邸を出て行こうとするところで終わっています。つまり「夫が愛人を連れ込んだがために妻が怒って出て行った」わけです。
私も「妻」という立場ですから、北の方の心情を思うと胸が苦しくなります。十代の頃なら和泉式部と敦道親王の愛に心酔したかもしれませんが、三十代の今は手放しでそれに浸ることができません。
しかし、平安時代は敦道親王の行動が社会的に認められていた時代なんですよね。現代人が同じことをしたら非難轟轟ですが、平安時代では合法なのです。
それに、この時代の身分の高い人は自由に結婚できたわけではないですから、敦道親王を責めるのもかわいそうな気がします。敦道親王と北の方は元々不仲だったようですから、おそらく恋愛結婚ではないでしょうね。となると、現代の価値観で「妻一人を守るべき!」とか「浮気するなんてひどい!」と言うのは違うと思います。敦道親王は和泉式部によって「本当の愛」を知ったのかもしれませんしね。
敦道親王と和泉式部の間には子供も産まれますが、蜜月は四年半で終わります。敦道親王が病没したためです。和泉式部は為尊親王とも敦道親王とも病が原因で死別してしまったのですね。かわいそうに・・・。
その後、和泉式部は藤原彰子の元に出仕し、紫式部と出会います。藤原道長は和泉式部の扇に「浮かれ女」といたずら書きしたそうですが、私は和泉式部のこと結構好きです。